【昭和30年代】はとバスのガイド嬢は憧れの職業?

2014年04月21日

【昭和30年代】はとバスのガイド嬢は憧れの職業?

【昭和30年代】はとバスのガイド嬢は憧れの職業?

東京の定期観光バスといったら「はとバス」ですよね。はとバスは昭和30年代に急成長を遂げましたが、同時にはとバスのガイド嬢も注目を浴び、若い女性の憧れの職業となっていきます。

東京観光といったら「はとバス」です

東京の定期観光バスといったら、皆さんは何を連想しますか? そう、誰もが思い浮かべるのは「はとバス」ですよね。はとバスの歴史も古く、前身の新日本観光株式会社が設立されたのが1948年(昭和23年)の8月、初めて運行した観光バスは1949年(昭和24年)元旦の「成田山初詣」、そして3ヶ月後の3月19日に上野公園~皇居前~赤坂離宮~浅草観音を巡る東京観光ツアーバスがスタートされました。

昭和30年代に急成長を遂げました

もちろん昭和20年代の東京は復興途中で大した見所もなく、古くからの名所旧跡を訪ねるしかありませんでしたから、当初は経営も大変だったようです。しかし、昭和30年代になって高度経済成長期を迎えると、東京の街には東京タワーなどの新しい建造物が続々と生まれました。1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催もあり、空前の東京観光ブームが起こります。はとバスはその流れに乗って急成長を遂げていったのです。

バスガイドの女性たちも注目を浴びます

はとバスの急成長とともに注目を浴びるようになったのが、「バスガイド」の女性たちでした。大正末期から昭和初期にも「バスガール」と呼ばれる女性車掌が注目されましたが、見違えるように生まれ変わっていく東京を舞台として、華々しく活躍していくはとバスのガイド嬢たちは、当時の若い女性たちの憧れの職業だったそうです。はとバスは既に世間に認知されていて社会的信用度も高かったですから、娘に就職を勧める親御さんも多かったと聞いています。

流行歌にもなったんですよ

そのため、はとバスのガイド嬢の採用条件は厳しく、「身長150cm以上、視力は裸眼で0.6以上(眼鏡不可)」など様々な条件が課せられていました。それでも希望者は引きも切らず、採用倍率は常に10倍以上、誰もが簡単になれるような職業ではありませんでした。
1957年(昭和32年)には、はとバスのガイド嬢をモデルにした「東京のバスガール」という歌が発売され、夢と希望を持ってバスガールになった若い女性が明るく“走る”姿を描いたこの歌は、当時の大ヒット曲となっています。そのぐらい昭和30年代のはとバスのガイド嬢は、多くの人々に愛され憧れられる存在だったんですね。