【都営バスの歩み:高度成長期編】 トロリーバスと都電の全面廃止

2017年01月06日

【都営バスの歩み:高度成長期編】 トロリーバスと都電の全面廃止

【都営バスの歩み:高度成長期編】 トロリーバスと都電の全面廃止

戦後復興から日本が高度経済成長期に突入すると、都営バスの経営規模も拡大していきます。しかし、押し寄せるモータリゼーションの波は、東京都交通局の財政を悪化させていくことになりました。

高度経済成長期に突入して経営規模は拡大

終戦後の荒廃と混乱から徐々に日本は活力を取り戻し、1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争の特需もあって、1953年(昭和28年)後半頃には戦前の水準にまで経済は復興しました。ここから日本は“東洋の奇跡”とも呼ばれる驚異的な高度経済成長期(*注1)に突入します。

この高度成長に合わせて、東京都営バス(都バス)の経営規模も拡大していきました。終戦直後の1946年(昭和21年)度は1日平均の営業キロ数110.5km/使用車両108.6台/乗客数110,337人でしたが、1956年(昭和31年)度には営業キロ数733.2km/使用車両928.5台/乗客数634,170人と大きく躍進するのです。

*注1:「高度経済成長期」
日本経済が飛躍的な成長を遂げた1954年(昭和29年)12月~1973年(昭和48年)11月までの約19年間を指す。この期間は年平均10%以上の経済成長を達成し、1968年(昭和43年)には国民総生産(GNP)が世界第2位となった。

道路交通量の激増で信頼を失う

しかし、高度成長によって人々が豊かになったことで、自動車が広く社会と大衆に普及する「モータリゼーション」の波が押し寄せ、各地で道路交通量が激増しました。特に東京都内は増加の一途をたどる交通量に道路整備がまったく追いつかず、猛烈な交通渋滞が慢性化していったのです。この渋滞を回避するため路面電車(都電)の軌道敷(線路)内への自動車の乗り入れを認めたのですが、これによって都電までもが渋滞に巻き込まれ、公共交通としての機能を果たせなくなってしまいました。地下鉄も発達してきていたため都電の利用者数は大幅に減少し、1961年(昭和36年)度以降、都電と都バスの運営母体である東京都交通局の財政悪化は深刻化していくのです。

“赤字の元凶”である都電とトロリーバスの廃止

道路上に張られた架線(電線)から電気を取り込んで走るトロリーバスも、その架線の下でしか走れないため、都電と同様に交通量の増えたこの状況に適応不能となりました。さらに燃料事情が好転したことで、逆に電気を供給する変電所の維持コストの方が問題視されるようにもなり、ディーゼルエンジン車の燃費や信頼性も高くなってきたことから、ついに東京都は“赤字の元凶”である都電とトロリーバスの廃止を決定するのです。

そして1968年(昭和43年)、都営トロリーバスは全面的に廃止されました。それは1952年(昭和27年)の開業から、わずか16年後のことでした。都電も1972年(昭和47年)までに現在の荒川線以外の全路線が廃止(*注2)されます。トロリーバスと都電を合わせて廃止となったのは40系統、そこに37系統の代替都バス路線が新設され、これが今に続く都営バスの基幹となっています。

*注2:「荒川線以外の全路線が廃止」
荒川線も1971年(昭和46年)度末までに廃止される予定でした。しかし、代替道路の整備に時間がかかるため、5年間ほど廃止が延期されることになります。その間に自動車の排気ガスを原因とする都内の大気汚染が深刻化したことから環境に優しい路面電車が見直され、荒川線は恒久的に残されるようになりました。