【都営バスの歩み:高度成長期編】 経営悪化による路線の再編

2017年01月13日

【都営バスの歩み:高度成長期編】 経営悪化による路線の再編

【都営バスの歩み:高度成長期編】 経営悪化による路線の再編

1960年代に行った財政再建も、1970年代になるとオイルショックによる物価の高騰と景気の低迷によって再び悪化します。この状況を改善するために、都バスは「第二次財政再建計画」を実行しました。

1960年代に赤字基調へと転落

戦争が終わり、日本が復興していくのと歩調を合わせて、東京都営バス(都バス)も順調に経営規模を拡大していきました。しかし、1954年(昭和29年)12月からの高度経済成長期になると、モータリゼーションの進行とともに道路には自動車があふれ、都心部では慢性的な交通渋滞が発生するようになります。激しい渋滞に巻き込まれた都バスは定時運行が困難となり、人々から公共交通としての信頼を失っていきました。利用者が減少すれば、当然のごとく収入も減少し、都バスを運行する東京都交通局の経営は1961年(昭和36年)以降、赤字基調に転落します。

脆弱な経営基盤をオイルショックが直撃

この状況を改善するために東京都交通局は「第一次財政再建計画」を立て、1960年代半ばから1970年代前半にかけて路面電車(都電)と都営トロリーバスを廃止、さらには運転士一人だけの乗務とする「ワンマン運行」を1965年(昭和40年)2月から導入するなどして、経営合理化を図りました。それでもまだ経営基盤は脆弱で、そこに1973年(昭和43年)の第一次石油危機(オイルショック)による物価の高騰と景気の低迷が直撃します。利用者が減少する中でコストが大きく上昇したため、再び経営状況は悪化してしまうこととなりました。

「第二次財政再建計画」による路線の再編を実施

東京都交通局は全職員に財政危機を乗り越えるための理解と協力を呼びかけ、1976年(昭和51年)に「第二次財政再建計画」を策定します。そこには1979年(昭和54年)度でバス事業の収支均衡を実現させるために、路線の再編を実施して137系統から102系統まで削減することが記されました。そして数々の不採算路線を廃止または短縮、山手線内における路線の集約および整理、長距離系統および民営バスとの相互乗り入れ系統の廃止または分割などが行われ、最終的に112系統へ再編されることとなったのです。

このような再編を行ったことで、都バスの運営も落ち着きを取り戻すかとこの時点では思われました。ところが財政再建はまだこれだけでは終わらず、1980年(昭和55年)11月の「第三次財政再建計画」へと続いていくのです。