【都営バスの歩み:高度成長期編】 ブームに乗って都営の観光バスが活躍

2017年01月18日

【都営バスの歩み:高度成長期編】 ブームに乗って都営の観光バスが活躍

【都営バスの歩み:高度成長期編】 ブームに乗って都営の観光バスが活躍

東京都営バスは戦前から保有していた観光バス事業の権利を、終戦後に新会社へ譲渡します。しかし、高度成長期の観光ブームを見越して再び免許を申請し、都営の観光バスが各地で活躍していきました。

戦時中の観光バス事業は休止状態

戦前の1938年(昭和13年)に交通事業者の統合を法制化する「陸上交通事業調整法」が施行されたことで、東京都(当時は東京市)は東京中心部の乗合バス事業を一手に引き受けることとなりました。その際、大東京遊覧自動車や東京地下鉄道などが行っていた観光バス(貸切バス)事業も引き継がれたのですが、戦時中は通常の路線バス事業ですら悪戦苦闘する状況であり、時局も観光バスの運行には適さなかったため、実質的に営業は休止状態となっていました。

戦後に新会社へ観光バス事業の権利を譲渡

終戦後も東京都は観光バス事業の営業権を保有していました。しかし、荒廃と混乱から東京の都市機能を回復させるためには、路線バス事業の再建を急がなければなりません。そのため東京都は新会社の設立に出資し、保有していた定期観光バスを含む観光バス事業の権利と車両数台を譲渡します。1948年(昭和23年)8月、観光バス事業を運営する新会社の「新日本観光株式会社」が誕生し、1949年(昭和24年)には都内の名所を巡る定期観光バスの運行が始まりました。察しの良い方はすでにお分かりだと思いますが、新日本観光は現在も東京観光の代名詞となっている「はとバス」の前身です。今も東京都は、はとバスの37.93%の株式を保有する筆頭株主となっています。

高度成長期に向かい改めて免許を申請

ところが1953年(昭和28年)12月に、東京都交通局は改めて観光バス事業の免許を申請します。これは戦後復興が急速に進み、各地の道路網も整備され、人々にもゆとりが生まれてきたことから、学校や企業などで観光バスの需要が高まるとの予測からだと考えられます。事実、1960年代に入ると国内では観光ブームが沸き起こり、1954年(昭和29年)度では約4万人だった都営観光バスの利用者は、1960年(昭和35年)度には約10万人、1965年(昭和40年)度には約13万人、そして1972年(昭和47年)度には約54万人と大幅に増えていきました。観光バスの活躍は、財政悪化にあえいでいた都営バスの経営面に多少なりとも貢献したことでしょう。

特定バス事業の免許も取得

なお、都営バスは盲・聾・養護学校の通学バスを、1967年(昭和42年)から貸切バスとして運行しました。その数は次第に増えていったのですが、貸切バスの車両のままでは安全面に問題が生じる危険性があることから、教育庁からの要請も受けて1973年(昭和48年)3月にリフト付き車両の試験運用を開始します。これが良好であったため、教育庁は肢体不自由児学校の通学バスを全てリフト付きにする計画を立てました。都営バスはそれに対応すべく、同年10月に特定の者の需要に応じて一定の範囲の旅客を運送する特定バス事業の免許を取得しました。