都バスの最初の車両は「円太郎バス」

2017年02月22日

都バスの最初の車両は「円太郎バス」

都バスの最初の車両は「円太郎バス」

関東大震災後に市電の代替として始まった東京都営バス(当時は東京市営バス)の最初の車両は「円太郎バス」と呼ばれました。その導入の経緯と名前の由来についてお話します。

関東大震災からの復旧を目指してバスを導入

1923年(大正12年)9月1日、東京はマグニチュード7.9の関東大震災に見まわれ、当時の交通機関の主力であった路面電車(市電)は壊滅的な被害を受けました。そこで市電を運営していた東京市電気局は、線路などのインフラ整備の必要がない乗合自動車、つまりバスの導入を決定します。これが今に続く東京都営バスの始まりとなるわけですね。ただし、市内の交通の混乱を収拾させるためには、バスとなる車両を早急かつ大量に調達しなければなりませんでした。

最初の車両は「円太郎バス」と揶揄される

そこで目を付けたのが、当時アメリカで大量生産されていた「TT型フォード」です。トラックの荷台に屋根を付けて雨除けを垂らした11人乗りの簡素なものでしたが、価格も1,800円(現在の価値で200~400万円)と格安でした。東京市は800台のTT型フォードを購入して、1924年(大正13年)1月18日から東京市営バス(現:東京都営バス)は運行を開始します。これによって東京市内の公共交通は復活したのですが、人々は多少の皮肉を込めてこのTT型フォードを「円太郎バス」と呼んだのです。

「円太郎バス」の名の由来

なぜこの都バス初のTT型フォード車両が「円太郎バス」と呼ばれたのでしょうか。時は明治時代にさかのぼります。その頃の公共交通といえば、バスでも路面電車でもなく「乗合馬車」でした。馬が客車を引きますから当然御者がいて、御者は警笛として豆腐屋のようなラッパを吹いていたのです。このラッパを吹いて出囃子代わりに高座に上がったのが、落語家の4代目 橘家円太郎でした。円太郎の芸は人気を博し、ついには乗合馬車の方が「円太郎馬車」と呼ばれるようになります。

TT型フォード車両が「円太郎バス」と呼ばれたのは、その腰高のシルエットが明治時代の乗合馬車に似ていたことと、急ごしらえの車両は前近代的で、乗り心地も馬車並みに酷かったためです。つまり、「円太郎馬車のようなバスだな~」とのことから、次第に円太郎バスと呼ばれるようになったのです。

事業の継続決定後はスマートな車両に

1924年(大正13年)7月に市バス事業の恒久的な継続が決定されると、TT型フォードの円太郎バスは木材の車室が付くなどスマートに改造され、15人乗りとなります。もはや円太郎バスとは誰も呼ばなくなりました。さらにイギリスのウズレー社やアメリカのシボレー社からも車両を輸入し、フォード社からもTT型から切り替わったAA型フォードが入ってきます。そして1930年代になると完全国産の標準形式自動車が完成し、「いすゞ」と名付けられました。ここから国産車両の導入が増えていき、1936年(昭和11年)をもって輸入車の購入はなくなります。なお、現在の「いすゞ自動車」は、「いすゞ」を造り上げた会社が合併、改称を経て発展したものです。