好評だった「トレーラーバス」が使われなくなった理由

2017年03月15日

好評だった「トレーラーバス」が使われなくなった理由

好評だった「トレーラーバス」が使われなくなった理由

終戦直後の復興期に都営バスは超大型の「トレーラーバス」を導入しました。とても評判が良く、他の事業者でも使われていたのですが、ある事故をきっかけに姿を消すこととなります。

戦後の復興期に登場した「トレーラーバス」

終戦直後の東京は、戦後復興と人口の急増で交通機関の輸送力増強が大命題となっていました。そこで都営バスはGHQ(連合国軍総司令部)から払い下げられた軍用トラック「GMC」を38人乗りのバス車両に改造し、後ろに同じく38人乗りの客車を連結させた「親子バス(合計定員76名)」を導入するなどして急場をしのいでいました。時を同じくして国内メーカーもバス車両の製造を本格化させ、戦時中に装甲車を製造していた日野自動車は、1947年(昭和22年)に「日野トレーラーバスT11B型 + T25型」を発表します。

全長は約14m!定員は驚きの96名!

「トレーラーバス」とは牽引車(トラクター)が客車(トレーラー)を引っ張って走る“牽引自動車型のバス車両”のことで、日野トレーラーバスT11B型 + T25型はトラクターヘッドのT11Bが荷台を客車に変更したT25型トレーラーバスを牽引するものでした。そしてその全長は13.88mもあり、定員は驚きの96名、運転手は1名で左ハンドル、これは軍用車の部品流用によるものでしたが車両が巨体なだけに歩道側安全確認に好都合だったとも言われています。トラクターとトレーラー間の行き来はできないため車掌は2名乗車、停車や発車の際には車掌がブザーを押して孤立した運転席に合図を送りました。

利用者にも事業者にも大好評

一度に96名もの乗客を輸送できるトレーラーバスはバス事業者にとって大きな魅力となり、都営バスも早々に導入を決定します。客車にはドアが設置され(それまでのバスには乗降口にドアがありませんでした)、座席は電車のようなロングシート、エンジンが客車から遠く離れた運転席の前方にあったためか音も静かで乗り心地も良く、GHQが「贅沢すぎるのではないか?」と問いただしたほどでした。運転していても14m近い巨体の割には小回りがきき、6m幅の直角な道路を曲がることも可能でした。このように利用者側にも事業者側にも好評を得たため、トレーラーバスは都営バスにとどまらず全国的に広がり、戦後復興期の輸送に貢献していったのです。

客車の全焼事故から安全性に疑問符が

このように評判の良かったトレーラーバスでしたが、ある事故をきっかけにして使われなくなっていきます。それは1950年(昭和25年)4月14日に横須賀で起きた客車の全焼事故でした。走行中に乗客が喫煙のマッチを投げ捨て、それが他の乗客が客車に持ち込んでいたガソリンに引火、客車は炎に包まれましたが孤立した運転席の運転手はそれに気づかずに走行を続けたため、風を受けた客車はさらに燃え上がり、逃げ出すことのできなかった乗客の多くが死傷してしまったのです。この事故によってトレーラーバスの安全性に疑問符が投げかけられ、さらに国産バスの技術開発が進んだことから、トレーラーバスは次第にその座を大型の単体車両に奪われていきました。都営バスには日野自動車製を始めとして31台のトレーラーバスがありましたが、1956年(昭和31年)をもって全て姿を消したのです。

ちなみに現在、国内で定期運行されているトレーラーバスは、西東京バスの武蔵五日市駅(あきる野市)~日の出つるつる温泉間の路線を走る、機関車型のレトロ調ボディを持った「青春号」だけとなっています。興味のある方は一度行ってみてくださいね。