戦後の都バスはわずか12系統から始まった

2017年03月31日

戦後の都バスはわずか12系統から始まった

戦後の都バスはわずか12系統から始まった

現在では国内でトップクラスの規模を誇る都営バスですが、70年前の太平洋戦争終戦時にはわずか12系統しか残っていませんでした。そこから東京の街とともに復興の道を進んできたのです。

今や全国的にもトップクラスの規模ですが

2015年(平成27年)4月1日現在、都営バスには129の系統があり、その営業キロ数は737.7km、保有車両数は1,452両となっています。当然その規模は全国でもトップクラスの大きさで、首都東京の都市交通を支えています。しかし、70年前にさかのぼってみると、終戦間際の1945年(昭和20年)6月の都営バスは、営業キロ数63km、系統数12しかなかったのです。

終戦時に残ったのはたったの12系統

その12系統は以下の通りです。

● 渋谷駅~恵比寿駅~魚藍坂下~田町駅
● 堀之内~中野坂上~新宿駅
● 東中野駅~高田馬場駅~早稲田
● 練馬車庫~目白駅~江戸川橋
● 西新井橋~宮地~道灌山下
● 千住車庫~三ノ輪車庫
● 亀戸駅~白鬚橋~三ノ輪車庫
● 吾嬬西九丁目~寿町
● 亀戸駅~城東区役所~境川~洲崎
● 三角~東荒川~亀戸駅~錦糸町駅
● 新田~葛西橋~境川
● 月島通三丁目~銀座四丁目~有楽町駅~東京駅

1942年(昭和17年)度には2,000台近くあった車両も戦時中は軍事工場への工員輸送などに使わなければならず、そこに物資の不足や空襲による被害などがあって、運行する系統は縮小せざるを得ませんでした。特に1945年3月10日の東京大空襲によって東京の下町は焼きつくされ、都営バスの車庫や車両も多くを焼失、結果的に終戦時の稼働車両数は196台しかなかったそうです。

東京の街とともに復興の道を進んだ都バス

この状況から都営バスは、東京の街とともに復興の道を進みます。1947年(昭和22年)度には米軍から払い下げられた軍用トラックをバス車両に改造して輸送力を高め、1950年(昭和25年)には戦前のレベルまで系統数および車両数を戻しました。そして1956年(昭和31年)度には営業キロ数733.2km、使用車両928.5台と躍進します。その後は高度経済成長期のモータリゼーションの進展による交通渋滞の影響や、地下鉄網の発達などによって1961年(昭和36年)以降は経営が悪化しましたが、2011年(平成22年)からは利用者数が増加傾向になってきています。

人に優しく、環境にも優しく

一度に多くの人を運ぶことができるバスは、乗客を輸送する一人あたりの二酸化炭素排出量が少なくなりますから、地球温暖化への影響を抑える環境に優しい乗り物になります。近年の利用者数の増加傾向も、環境保全の意識が高い都民の皆さんが積極的にバスを利用し始めたことによる部分が大きいと考えられます。都営バスも129の系統にハイブリッドバスやCNGバスなどの低公害車を導入して、さらなる低公害化を目指しています。東京の環境と都民の生活を守りながら、都営バスは今日も走り続けます。