都バスで東京再発見!【草41系統】下町と下町をつなぐ生活路線です

2017年05月19日

都バスで東京再発見!【草41系統】下町と下町をつなぐ生活路線です

都バスで東京再発見!【草41系統】下町と下町をつなぐ生活路線です

都営バスの路線沿線を紹介する「都バスで東京再発見!」。今回は浅草寿町と足立梅田町を結ぶ「草41系統」です。下町と下町をつなぐ生活路線として、地域住民の方々に愛用されている路線ですよ。

「草41系統」の概要

「草41系統」は浅草寿町から鶯谷駅前、町屋駅前を経由して、足立区の足立梅田町まで運行する路線です。浅草寿町を出発すると、映画館や寄席などの娯楽施設が集まる浅草六区や東京メトロ銀座線の浅草駅を通り、西浅草三丁目バス停から言問通りに入ります。左側に合羽橋道具街を見て鶯谷駅を過ぎると右折、そして尾竹橋通りを北上し、荒川区の東日暮里、三河島駅前を抜けて町屋駅前へと進みます。この辺りは住宅、商店街、町工場などがひしめく混合密集市街で、東京では唯一の都電である荒川線が走っています。隅田川に架かる尾竹橋を渡ればそこは足立区になり、千住桜木バス停の先の荒川は西新井橋を渡ります。この付近の河川敷で毎年7月に12,000発が打ち上げられる「足立の花火」が開催され、その日は放水路土手下バス停での折返し便が増発されます。ここからは歩道が存在しない二車線の狭い道を走って、終点の足立梅田町に到着します。なお、草41系統はコンパクトな中型車両による運行が主体となっているのですが、これは放水路土手下~足立梅田町間の道が狭いからというよりも、足立梅田町~千住車庫までの回送経路に大型車両では走行できない狭い道の区間があるからなんですって。

停車バス停一覧

01.浅草寿町 → 02.浅草一丁目 → 03.浅草公園六区 → 04.西浅草三丁目 → 05.入谷二丁目 → 06.中入谷(台東区) → 07.入谷鬼子母神 → 08.下谷二丁目 → 09.鶯谷駅前 → 10.上根岸 → 11.東日暮里四丁目 → 12.東日暮里三丁目 → 13.大下 → 14.三河島駅前 → 15.荒川四丁目 → 16.荒川五丁目 → 17.町屋駅前 → 18.町屋一丁目 → 19.一本松 → 20.町屋三丁目 → 21.尾竹橋 → 22.千住桜木 → 23.放水路土手下 → 24.赤不動 → 25.梅島第二小学校通り → 26.梅田町神明通り → 27.足立梅田町

◇ 「都バス一日乗車券」および「都バスIC一日乗車券」
23区内の都営バスを1日に限り何回でも乗車できます。大人500円/小児250円。都営バスの車内で当日購入可能です。

沿線の見どころスポット

● 六区ブロードウェイ(最寄りバス停:浅草公園六区)
明治時代から映画館や演芸場が密集する歓楽街として発展してきた全長約300mの商店街で、ここから渥美清さん、ビートたけしさん、萩本欽一さんなど、多くの優れた芸人が生まれてきました。現在も浅草演芸ホールや浅草フランス座演芸場東洋館などから大衆芸能の花が咲いています。



● かっぱ橋道具街(最寄りバス停:入谷二丁目)
食器、梱包材、調理器具、食品サンプル、看板、制服に至るまで、料理に関するものなら何でも揃う道具街です。プロの方はもちろんのこと、一般の方でも気軽に利用することができます。



● 真源寺/入谷鬼子母神(最寄りバス停:入谷鬼子母神)
「恐れ入谷の鬼子母神」の洒落言葉でも知られる入谷鬼子母神は、正式名称を仏立山真源寺といいます。創建は1659年(万治2年)。所蔵する「絹本着色朝顔・蜻蛉図」は台東区指定有形文化財で、毎年七夕の季節に開催される「入谷朝顔まつり」も有名です。



● 寛永寺(最寄りバス停:鶯谷駅前)
台東区上野桜木にある天台宗関東総本山の寺院。開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海。徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍のうち6人(4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定)が眠っています。最盛期の境内は約30万5000坪にもおよび、現在の上野恩賜公園も元は寛永寺の伽藍だったんですよ。



● 書道博物館(最寄りバス停:上根岸)
台東区根岸にある中国および日本の書道に関する博物館で、本館および「中村不折記念館」の2つから構成されます。洋画家であり書家でもあった中村不折氏がその半生40年余りにわたって蒐集した収蔵コレクションには、重要文化財12点、重要美術品5点を含む東洋美術史上貴重な文化財が揃います。



● 荒川自然公園(最寄りバス停:町屋駅前)
東京都下水道局三河島水再生センターの上に人工地盤を造って設置された公園で、開園は1974年(昭和49年)。荒川区立公園の中では最も広く、自然豊かな南側地区、運動施設のある中央地区、交通ルールが学べる交通園がある北側地区の3つのブロックから構成されています。



● 明王院(最寄りバス停:赤不動)
1178年(治承2年)に平安末期の武将である源義広が祈願所として創建した古刹。江戸時代の寛永年間に3代将軍家光の鷹狩の際の御膳所となって以降、歴代将軍の御膳所となりました。1742年(寛保2年)にご本尊の感得不動明王像が京都から伝わり、それを祀る不動堂が朱塗りであったことから「赤不動」の別名を持っています。