時代の最先端を行く都バス車両の歴史(1950年代)

2017年10月11日

時代の最先端を行く都バス車両の歴史(1950年代)

時代の最先端を行く都バス車両の歴史(1950年代)

太平洋戦争終結から5年が経過し、復興への勢いが加速し始めた1950年代の東京。増大する交通量に対応するため、都バス車両には新しい技術と工夫が取り入れられました。

電気を動力としたトロリーバスの登場

1950年代に入っても国内のガソリン不足は続いていました。しかし、復興に向けて東京の交通量は増大しており、都営バスは路線拡大や増便を求められます。そこで目をつけたのが、電気を動力とした「トロリーバス」でした。経済活動が復興していないおかげで水力発電による電気には余裕があり、道路上に電線(架線)を設置すればOKですから、線路の敷設に莫大な費用がかかる路面電車よりも建設費を大幅に抑えられるのです。都営トロリーバスの運行は1952年(昭和27年)5月より始まりました。

トロリーバス車両は50型(1952年製20台)、100型(1953年製5台)、200型(1954年~1957年製39台)、250型(1958年~1962年製15台)、300型(1956年~1958年製34台)、350型(1959年~1962年製8台)の6型式121台が、シャーシーは日野ヂーゼル工業(現在の日野自動車)、ボディは富士自動車工業(現在の富士重工業)によって製造されます。なお、50型はもともと中国の天津市への輸出用に造られたものの転用であり、300型と350型にはルート上にある踏切通過用の補助ディーゼルエンジンが取り付けられ、フロントにキャブオーバーバスのようなラジエターグリルがありました。

ボンネットバスからリアエンジンバスへ

都営トロリーバスの営業路線は今井~上野公園、池袋~品川、池袋~亀戸、池袋~浅草雷門の4系統だけで、他はディーゼルエンジンバスが走る通常の路線であり、そこを走る都バス車両は1950年代前半まで「ボンネットバス」が主流でした。ボンネットバスは普通乗用車と同様にエンジンを運転席より前、客室外のフロント部に置いた構造で、「いすゞBX95型」「日野BH10型/11型」「三菱B25型」などが採用されます。1950年代も後半になるとその数は少なくなっていきましたが、「三菱B280型/380型」「いすゞBX152型/352型/552型」が導入されました。都バス車両最後のボンネットバスは1959年(昭和34年)製のいすゞBX552で、1970年代近くまで活躍したそうです。

ボンネットバスに替わって主流となったのが、エンジンを車体最後部に配置して客室空間を拡大した「リアエンジンバス」です。輸送効率を高められるため、1950年代後半からはこちらが積極的に採用されました。「民生デイゼル(後の日産ディーゼル。現:UDトラックス)BR31型/344型・RF81型/85型」「いすゞBX95X型・BC20型・BA351型/551型」「三菱R280型/380型」が、1960年(昭和35年度)までに500台以上導入されています。

センターアンダーフロアエンジンバスも採用

リアエンジンバスの採用車両を見て「おや?」っと思われた方もいるかもしれませんが、バス業界最大手の日野自動車の名前がありません。実は他のバス製造メーカーがエンジンを車体最後部に配置していたのに対して、日野は車体中央部の床下にエンジンを吊り下げた「センターアンダーフロアエンジンバス」の開発に取り組み、1952年(昭和27年)に「ブルーリボン号」の愛称を持って登場させていたのです。この構造の車両は後部にエンジンスペースがないため、客室を完全なる最高部まで確保できるメリットがあり、事実、ブルーリボン号は他のメーカに比べて最大の室内有効長を誇っていました。

都営バスでは1961年(昭和36年)度までに、センターアンダーフロアエンジンの「日野BK30型・BD31型/32型/33型/34型/35型」を、合計で260台増備します。ただ、このレイアウトはエンジンの熱とブローバイガス(ピストンとシリンダーの隙間からエンジン内に漏れ出した気体)が車内にこもりやすかったため、交通渋滞の激しい路線を持つ都営バスでは天井に換気装置を取り付けて対処していました。

統一されたボディカラー

この時代で忘れてはならないのが、都バス車両のボディカラーの統一です。それまでは1938年(昭和13年)に公布された「陸上交通事業調整法」によって、1942年(昭和17年)に数多くの民営バス事業者を統合した関係から、様々なデザインのバス車両が都営バスとして走っていました。これを1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)にかけて、ひとつのデザインに統一したのです。

初代のカラーリングは、緑がかった淡いブルー(カスケードブルー)をベースに、下部を白のパイピングが施されたグレー(モスアゲートグレー)に塗り、その下の裾部にグリーン(フェザートグリーン)を配して、オレンジ(インターナショナルオレンジ)のアクセントラインを走らせたものでした。今見てもなかなかシックでオシャレなデザインで、当時の人々からも好評を得ていたそうです。

1959年(昭和34年)からはクリーム色にえんじ色(マルーン)の太い帯を走らせた、通称「キャピタルクリーム」と呼ばれるカラーリングに変更されました。都営バスと同じ東京都交通局が運営する路面電車の「東京都電車(都電)」とデザインと合わせたもので、都市の公共交通機関のデザインを統一したという点では画期的なものでした。