時代の最先端を行く都バス車両の歴史(1970年代)

2017年10月16日

時代の最先端を行く都バス車両の歴史(1970年代)

時代の最先端を行く都バス車両の歴史(1970年代)

1970年代に入ると人々の所得水準が上昇し、自動車の保有数が増加していきます。それにともなってバス離れが進み、都営バスは定時性の確保に加えて快適性の向上も求められるようになります。

1970年代に採用された都バス車両

■ いすゞ自動車
「BU06D型(1970年~)」「BU06型(1970年~)」「BU04型(1973年~)」

・BU06D型=D920H型エンジン/出力175PS/総排気量9,203cc。
・BU06型=DH100H型エンジン /出力190PS/総排気量10,179cc。BU06D型・BU06型ともにBU05型をベースに約150mm低床化を図ったモデル。
・BU04型=BU05型をモデルチェンジした全長9,990mm/ホイールベース4,700mmの短尺モデル。

■ 日野自動車
「RE100型(1972年~)」

・RE100型=全長10,250mm/ホイールベース4,800mm/ EB200型エンジン/出力175PS/総排気量9,036cc。

■ 三菱自動車
「MR410型(1967年~)」「MP107K型(1978年~)」

・MR410型=全長10,000mm/ホイールベース4,900mm/ 6DB1型エンジン/出力165PS/総排気量8,550cc。
・MP107K型=全長10,000mm/ホイールベース4,800mm/ 6D21型エンジン/出力205PS/総排気量10,308 cc。都営バスを始めとする一部の公営バス事業者にのみ採用された型式。

■ 日産ディーゼル
「U20H型(1973年~)」「U35H型(1975年~)」

・U20H型=全長10,000mm/ホイールベース4,670mm/ PD6H型エンジン/出力185PS/総排気量10,308cc。
・U35H型=全長10,000mm/ホイールベース4,800mm/ PP6H型エンジン/出力195PS/総排気量11,670 cc。都営バスを始めとする一部の公営バス事業者にのみ採用された型式。

「低床バス」の試作と導入

終戦から20年以上が経過して、デコボコの未舗装が目立っていた東京の道路もようやく整備されてきました。道路が舗装されてフラットになれば、ロードクリアランス(車体の最も低い部分と路面との間隔)を大きく取る必要がなくなります。そこでバス利用者の乗降を安全で容易なものとするために、いすゞBU06D型4台と日野RE100型4台の合計8台を低床バス試作車として、1971年(昭和46年)11月より杉並・新宿営業所で試験運行を始めました。

この試作車の床面は従来の車両よりも5~6cm低くされ、ステップ(乗降口階段)の幅も30cmから40~50cmに広げられました。もちろん現在のノンステップバスよりは高い床面でしたが、その後のバス車体の標準型式(路線用底床式バス)となっていきます。電車のようだった三方シート(左右および後部にロングシートを配した座席レイアウト)も1人掛け中心の前向きシートになり、この低床バスは翌1972年(昭和47年)より本格導入されることとなりました。そして1973年(昭和48年)度からはすべての購入車両が低床バスになっていきます。

「ハイブリッドバス」の試験運行

昨今の乗用車ではエンジンとモーターで駆動する「ハイブリッド車」が当たり前のように普及していますが、都営バスは今から40年以上も前にハイブリッドのバスを走らせていたんですよ。時は1972年、都営バスを運営する東京都交通局は、当時問題となっていた排気ガスによる大気汚染や騒音を抑制するために、いすゞ自動車、川崎重工業、富士電機、古河電池と共に、ハイブリッド式電気バスEHCK480型を4台製造しました。

いすゞBU05型をベースとしたEHCK480型は、ディーゼルエンジンで発電機を動かし、そこで生じたエネルギーをクラッド式鉛蓄電池に貯め、158kWの直流直巻モーター(158kW)を回転させて走行するものです。先進性に優れた素晴らしい車両でしたが、あまりにも時代の先端を行ってしまったため、当時の技術ではイニシャルコスト(初期費用)が一般ディーゼルエンジンバスの3倍、ランニングコスト(継続費用)が4倍となってしまいました。加えて発電用エンジンの騒音が大きく、約5年間の試験運行の後の1978年(昭和53年)に残念ながらすべてが廃車となります。

冷暖房バスの登場

高度経済成長期に入って庶民の生活水準は向上し、徐々に一般家庭にも冷房用のクーラーが設置されるようになってきました。ではバス車両はどうだったのでしょうか。今では考えられないことですが、実は1960年代までのバス車両には冷房はおろか暖房すら装備されていなかったのです。

都営バスは1970年代になってバスの快適性を高めて乗客サービスを向上させるために、8台の冷暖房車を試作します。冷房装置には走行用のエンジンで冷房用コンプレッサーを駆動する機関直結式が用いられました。そして1979年(昭和54年)8月1日、ついに深川・練馬・葛西・早稲田の4営業所において冷暖房車の運用が開始されます。翌1980年(昭和55年)には全営業所に各2台ずつが投入され、それ以降の新車はすべて冷暖房バスとなっていきました。