かつての都バスには首都高速道路を走る系統がありました

2017年11月01日

かつての都バスには首都高速道路を走る系統がありました

かつての都バスには首都高速道路を走る系統がありました

路線バスは通常、一般道路を走行します。高速道路を走ったらそれは高速バスですものね。でもかつての都営バスには首都高速道路を走る系統があったんです。その歴史を振り返ってみましょう。

路線バスは一般道を走るのが普通ですが

都営バスのような路線バスは、住宅地と鉄道駅や主要施設などを結ぶために一般道路を走るのが普通です。高速道路を走るのなら、それは路線バスではなく高速バスですものね。現在も「波01出入系統」などはレインボーブリッジを経由していますが、こちらは下層部の一般道を利用しており、上層部の「首都高速道路(首都高)」を走っているわけではありません。でもかつての都営バスには本気で首都高をかっ飛ばしていた系統がいくつもあったんですよ。今回はちょっとその歴史を振り返ってみましょう。

都バスで初めて首都高を走った「115系統」

東京都区部に張り巡らされた首都高速道路は、1962年(昭和37年)12月の京橋~芝浦間4.5kmの開通から始まり、その後、次々に延伸されていきます。首都高の建設は開催を目前に控えた東京オリンピックのためと思われがちですが、主となる目的は高度成長期を迎えたことで増加しつつある東京都区部の交通渋滞を解消することでした。

それでも開通当初の首都高はまだ一般乗用車の利用は少なく、走行車の絶対数は現在よりもはるかに低いものでした。そこで1965年(昭和40年)8月に、都営バスは京急バスと共同運行で東京駅八重洲口と羽田空港を首都高速1号羽田線経由で結ぶ「115系統」の運行を始めます。ただ運賃は70円と同距離の他路線より20円~30円高く(当時は1区20円の区間制運賃)、思いのほか乗客数も伸びなかったことから1970年(昭和45年)11月末の運行をもって廃止となりました。

世田谷と東京駅を首都高経由で結んだ2つの系統

1967年(昭和42年)12月には、桜新町~渋谷駅~東京駅南口を運行していた東急バスとの相互乗り入れの「139(東83)系統」が、朝の東京駅方向と夕方の桜新町方向に、開通したばかりの首都高速3号渋谷線を経由する高速道路急行バス「139乙系統」を開設します。これは世田谷の住宅地と霞が関および丸の内周辺への通勤客をターゲットにした通勤専用路線で、渋谷駅には停車しませんでした。桜新町~霞が関までが約30分、東京駅南口までが約40分と、現在の地下鉄とさほど変わらない所要時間で到着することができ、加算される高速道路通行料金はわずか10円。そのため運行当初はなかなかの人気を集めます。

139乙系統の評判が良かったことで、翌1968年(昭和43年)の6月には同じく東急バスと相互乗り入れする等々力~目黒駅前~東京駅南口の「113(東98)系統」にも、首都高速2号目黒線経由の「113乙系統」を新設しました。こちらも朝夕のみの運転で所要時間の短縮もあり、それなりの評価を得ていたのですが、急速に進むモータリゼーションは首都高の混雑を激化させます。次第に139乙系統も113乙系統も一般道経由に対する速達性のメリットを失っていき、1972年(昭和47年)11月に新番号化された東83系統は1979年(昭和54年)に一般道路経由ともども廃止、東98系統は1987年(昭和62年)に首都高経由の運行が廃止されました。

湾岸線東京港トンネルを通った「海01系統」

首都高を走った都営バス系統はもうひとつあります。1978年(昭和53年)7月~1979年(昭和54年)9月にかけて、有明13号地(現在のお台場付近)で宇宙科学博覧会が開催されました。そのための臨時バスが「海01系統(品川駅東口~海上公園(現:船の科学館)~門前仲町)」として定期化され、1976年(昭和51年)に開通していた首都高速湾岸線大井~13号地(現:臨海副都心)間の東京港トンネルを経由したのです。

海01系統は終日にわたるすべての便が東京港トンネルを通り、高速道路通行料金も加算されませんでした。しかし、延伸されていく湾岸線の渋滞は次第に激しくなり、東京臨海高速鉄道りんかい線が開通した2002年(平成14年)に品川駅東口~東京テレポート駅間が廃止となって、海01系統は東京港トンネルを経由しなくなってしまうのです。

そんなことで現在、首都高を走る都営バス系統はありません。それでも2015年(平成27年)の首都高速中央環状線全面開通や一般道の整備によって、ずいぶんと渋滞は緩和されてきました。近い将来、再び首都高を走る都営バスの姿を見ることができるようになるかもしれませんね。