都バス今昔物語その5(1970年代)

2018年01月05日

都バス今昔物語その5(1970年代)

都バス今昔物語その5(1970年代)

オイルショックの影響から再び経営状況が悪化した1960年代。都バスは第2次自主財政再建計画による路線の再編を行いながら、今に続く様々なバスサービスを導入していきました。

二度目の法定再建は回避したが

1967年(昭和42年)に法定財政再建の指定を受けた東京都交通局は、1960年代半ばから1970年代前半にかけて“赤字の元凶”とされていた都電とトロリーバスを廃止し、1965年(昭和40年)2月からは運転手一人だけの乗務とするワンマン運行を導入するなど、経営合理化を図りながら財政再建計画を実行しました。その結果、課題となっていた不良債務は解消したのですが、それは廃止となった都電の車庫用地など土地売却の収入に頼った部分が大きく、いまだ経営基盤は脆弱なままでした。

それでも1973年(昭和48年)8月に制定された「地方公営交通事業の経営の健全化の促進に関する法律」による第2次法定財政再建団体の指定は回避し、自主再建の道を進むことになります。ところが、同年の10月に勃発した第4次中東戦争を引き金とする第1次石油危機(オイルショック)によって日本経済は打撃を受け、物価の高騰と景気の低迷が都バスを直撃します。利用者が減少する中でコストが大きく上昇したことで、経営状況は再び悪化してしまいました。

第2次自主財政再建計画による路線の再編

この苦境を乗り切るため、東京都交通局は全職員に協力を呼びかけ、1976年(昭和51年)10月に第2次自主財政再建計画を策定します。そして1979年(昭和54年)度での収支均衡を図るために、路線の単純化と集約化、不採算系統・長距離系統の廃止と短縮、開発地域等における生活路線の新設と充実など、大規模な路線の再編が実施されました。

それによって1977年(昭和52年)度から1979年度にかけて26系統が廃止され、15系統が短縮、1系統が分割となり、民営バスとの相互乗り入れ系統の多くもこの時期に廃止されています。もちろん新規路線の開設もありましたが、再建計画策定時の137系統は112系統へと再編されていきました。

様々なバスサービスの導入

それでも1970年代の都バスはネガティブなことばかりではなく、今に続く様々なバスサービスが導入された時代でもありました。1973年に70歳以上の高齢者の福祉を目的とした「敬老乗車券(現:東京都シルバーパス)」、1975年(昭和50年)に民営バスと路線が並行する区間で相互に利用できる「共通定期券」、1977年に23区内の都バスを1日に限り何回でも乗車できる「一日乗車券」、1978年(昭和53年)に利用区間の指定なく東京23区内の都バスが乗り降り自由となる定期券の「フリーカード」などのサービスが、この時代から始まっています。

現在では一般的になった「バスロケーションシステム」も、新宿駅西口バスターミナルに乗り入れていた東急バス、京王バス、関東バス、西武バスとの5社共同で行われた1978年の試験導入から始まっています。そして1979年(昭和54年)度には、深川・練馬・葛西・早稲田の4営業所で「冷暖房車」の運用が開始されました。今ではイメージしにくいことですが、1970年代までの路線バス車両には冷暖房の設備はなく、夏の暑い盛りには窓を全開にして走行していたのですよ。

最盛期を迎えた貸切バス事業

1954年(昭和29年)から再び始まった都バスの貸切バス事業は、事業開始年度に4万1,000人だった貸切旅客数が1960年(昭和35年)度には9万8,000人、1965年(昭和40年)度には13万2,000人と順調に伸び続け、1970年(昭和45年)に大阪万博が開催されたことも大きな要因となって、1972年(昭和47年)度には53万7,000人と最盛期を迎えます。

また、1967年(昭和42年)から貸切バスとして運行していた盲・聾・養護学校の通学バスは、教育庁からの要請もあって安全性を向上させたリフト付き車両を1973年に導入しました。これが非常に好評であったことから、東京都交通局は特定の者の需要に応じて一定の範囲の旅客を運送する特定バス事業の免許を取得して、肢体不自由児学校の通学バスを貸切バス事業から切り離します。こうして1973年度は22コースだった特定バスは、1974年度になると41コース、1975年度には65コースと事業規模を拡大していきました。