かつて金沢と名古屋を結ぶ片道約266kmの路線バスがありました

2018年08月22日

かつて金沢と名古屋を結ぶ片道約266kmの路線バスがありました

かつて金沢と名古屋を結ぶ片道約266kmの路線バスがありました

国鉄バスの時代に名古屋市と金沢市を結ぶ路線距離約266kmの「名金急行線」という路線バスがありました。所要時間は10時間近くにも及んだ伝説の長大路線の歴史を振り返ってみましょう。

かつての国鉄バス最長路線「名金急行線」

現在、日本の路線バスの中で一番長い距離を走るのは、奈良県の橿原市(かしはらし)と和歌山県の新宮市(しんぐうし)を結ぶ「八木新宮特急バス(新宮特急線)」です。奈良交通の運行で路線距離は166.9km、バス停の数は167、全区間を走破するのに約6時間30分を要するというとんでもない長距離路線ですね。

でも歴史をさかのぼれば、もっともっと長い路線があったんですよ。それが今回ご紹介する国鉄バス運行の「名金急行線(名金線)」です。愛知県の名古屋市と石川県の金沢市を結び、その路線距離は266.4km、まだ高速道路の整備が進んでいない時代であったため、起点から終点までの所要時間は10時間近くにも及んだそうです。ではこの伝説の長大路線の歴史を振り返ってみましょう。

産声を上げたのは1966年

名金急行線は最初から名古屋~金沢間を結んだわけではなく、長い歴史の中で徐々に延伸していきました。まず1933年(昭和8年)に岐阜県の美濃白鳥~牧戸間の「白城線」が、当時の鉄道省の省営バスとして開業します。1935年(昭和10年)には金沢~福光(富山県)間で、同じく省営バスの「金福線」も開業しました。

戦後になって1953年(昭和28年)、南側の白城線は富山県と岐阜県の県境近くにある境川橋詰まで延伸して「金白南線」と路線名を改め、北側の金福線も境川橋詰まで延伸して「金白北線」に改称されます。1966年(昭和41年)になるとこの2つの路線が統合され、さらに南側の美濃白鳥からは名古屋鉄道(現:名鉄バス)との共同運行で名古屋まで走ることとなり、ついに266.4kmが1本の路線バスでつながる国鉄バス名金急行線が産声を上げたのです。

2001年をもって名古屋~金沢の直行便は休止

名金急行線はそれまでの国鉄バス長距離No.1だった名神高速線名古屋~神戸間215.5kmを大きく上回り、北陸・飛騨・郡上・美濃地方と中京地区との相互交流による産業等の発展や、白川郷・五箇山などの観光路線として期待を集めました。そのため、当時ではまだ珍しかった冷暖房完備でリクライニングシートの豪華車両が投入されていたそうです。

しかし、モータリゼーションと過疎化のうねりは国鉄合理化へと波及して、1979年(昭和54年)に国鉄バスは鳩ヶ谷~福光間の運行を取りやめ、名古屋と金沢を結ぶ直行便は名古屋鉄道の単独運行となりました。この直行便も1日1便のみの運行から季節運行(夏季)の「五箇山号」へと姿を変え、ついに2001年(平成13年)9月30日をもって運行休止となってしまったのです。

鉄道や高速道路網が整備された今では、名金急行線の復活は望むべくもありません。それでも当時は秘境中の秘境であった現在の世界遺産・白川郷に公共交通をもたらした功績を忘れてはならないでしょう。

今も受け継がれる名金急行線の「さくら道」

ところで皆さんは「さくら道」という小説、さらにはそれを映画化(1994年)した「さくら」、テレビドラマ化(2009年)した「さくら道」などをご存知でしょうか。これは国鉄バス名金急行線の車掌であった佐藤良二氏が、路線沿線の御母衣ダムの底に水没した村からダムの畔に移植された桜の開花に感動し、「太平洋と日本海を桜でつなごう」と1966年(昭和41年)から名金急行線の沿線(国道304号・国道156号ほか)に、12年間で2000本の桜を植え続けたお話です。

佐藤氏は志半ばの1977年(昭和52年)に病に倒れ47歳の若さで亡くなられたのですが、その意志は地元の有志たちに受け継がれました。今も毎年4月の桜が咲く時期に、名古屋城から金沢の兼六園にある佐藤桜までの約250kmを36時間以内で走る「さくら道国際ネイチャーラン」が開催されています。このような美しいエピソードが、さらに名金急行線を伝説の路線とさせているのですね。