沖縄本土復帰の象徴「730バス」は今も現役で走っています

2019年01月23日

沖縄本土復帰の象徴「730バス」は今も現役で走っています

沖縄本土復帰の象徴「730バス」は今も現役で走っています

沖縄県の本土復帰を象徴的に示す戦後の一大プロジェクト、それが「730(ナナサンマル)」です。これによって走り始めた「730バス」は、今も2台が現役の路線バスとして活躍しています。

対面交通が右側から左側に変わった「730」

今回は沖縄の「730バス」についてのお話です。と言われても、きっとほとんどの方は「730バスってなんだ?」という感じですよね。この「730(ナナサンマル)」という言葉は、沖縄の歴史と交通事情を語る上でとても重要でして、完全なる本土復帰(日本復帰)を象徴的に示すプロジェクト名でもあります。

ご存知の通り、現在の沖縄県は1945年(昭和20年)のアメリカ軍による占領から1972年(昭和47年)5月15日まで、27年間にわたってアメリカ合衆国の統治下に置かれました。「730」は本土復帰から6年後の1978年(昭和53年)に、自動車の対面交通をアメリカ式の右側通行から日本式の左側通行へと変更するための事前周知キャンペーン名称なのです。730は変更実施日である1978年7月30日に由来しています。

バス会社にとっては一大事

一夜にして対面交通の向きが逆方向に変わるわけですから、これはもう大変なことでした。前日の7月29日の22時から沖縄県全域で緊急自動車を除く自動車の通行が禁止され、約800人の作業員と約300台の車両を動員して翌30日6時までの8時間で標識や信号等の変更作業が行われたそうです。

この730はバス会社にとっても一大事でした。左側通行になっても普通の自家用車なら“左ハンドルの外車”になるだけで、走行に根本的な問題が生じるわけではありません。しかし、路線バスは7月29日まで道路の右側を走って右側のドアから利用客を乗り降りさせていた車両を、翌7月30日から使うことができなくなるのです。当時の沖縄県内には約1,300台のバス車両があったそうで、それら全てを1日で右ハンドルの左側ドアに改造するのも不可能でした。鉄道のない沖縄にとって公共交通としてのバスはとても重要な存在でしたから、抜本的かつ早急な対応が求められました。

その日ほぼ全てのバスが新車となった

そこで各バス会社は沖縄県知事と政府への陳情を行い、1977年と1978年の両年度合わせて国庫補助金92億6200万円、財政投融資63億円が認められます。それをもとに、各バス会社はほぼ全てのバスを右ハンドル/左側ドアの新車に買い替え、730の実施と同時に一気に投入しました。もうお分かりですね。この1978年7月30日にデビューした1,000台を超えるバス車両こそが「730バス」なのです。

もちろん台数が台数だけに車両製造メーカーの生産状況も考えなければならず、当時4社あったバス会社は那覇交通がいすゞ自動車、琉球バスが日産ディーゼル(現:UDトラックス)と日野自動車、沖縄バスが三菱ふそう、東陽バスが日野自動車にそれぞれ車両を発注することで対応しました。

今も2台が現役路線バスとして運行

そして730バスの投入から長い月日が経ち、那覇交通の事業を引き継いだ那覇バスでは2005年(平成17年)1月までに全ての730車両が廃車、琉球バスの事業を引き継いだ琉球バス交通でも2007年(平成19年)5月までに全車が廃車になりました。

残る沖縄バスと東陽バスでは、2003年(平成15年)3月までと2008年(平成20年)6月までに、どちらも1台を残して全車を廃車としました。しかし、この沖縄バスの1台(型式:MP117K/ナンバー:沖22か1064)と東陽バスの1台(型式:RE101/ナンバー:沖22か906)は、ともに特別整備が施されて動態保存されています。つまり路線バスとして本来の運用が可能な状態で残されているのです。

今も沖縄バスの39系統と東陽バスの191系統で、毎週日曜日に730バスは現役で走っています。製造段階から沖縄の潮風を考慮して頑丈に造り込まれたといわれる730バスですから、もうしばらくは頑張ってくれることと思います。沖縄に行かれた際には、ぜひその勇姿を堪能してみてくださいね。