コミュニティバスが全国に普及するきっかけとなった「ムーバス」とは

2019年02月20日

コミュニティバスが全国に普及するきっかけとなった「ムーバス」とは

コミュニティバスが全国に普及するきっかけとなった「ムーバス」とは

地域住民の移動手段を確保するために地方自治体が運行に携わるコミュニティバスは、今や全国に普及しています。そのきっかけとなった東京都武蔵野市の「ムーバス」についてお話してみましょう。

交通弱者の移動手段を確保する「コミュニティバス」

今や1,000を優に超える地方自治体で実施されている「コミュニティバス」。営利を目的とした既存の路線バス事業者では対応できない採算性の低い地域などを対象として、そこに暮らす高齢者、障害者、要介護者、年少者など、公共交通機関に頼らざるを得ない方々の移動手段を確保するために、市町村等が費用を負担して運行する新しい形態の路線バスです。皆さんの街にも走っていますでしょうか。

きめ細やかなサービスを提供する「ムーバス」

このコミュニティバスの先駆けは、1980年(昭和55年)に東京都の武蔵村山市が運行を始めた市内循環バス「MMシャトル」とされています。しかし、現在のようにコミュニティバスが全国各地へと普及するきっかけとなったのは、1995年(平成7年)から走り始めた東京都武蔵野市の「ムーバス」だと考えられます。

ムーバスという愛称は市民からの公募で付けられ、「ムさしの市のバス」という意味だけでなく、地域住民を移動させ、感動させることを願った「Move us」との想いも込められています。そして、病院や高齢者養護施設などの公共施設にバス停を設け、そのバス停間隔もご高齢の方の負担ならないよう200mが基本、運賃は一律100円にするなどのきめ細やかなサービスを実現させました。運行当初は吉祥寺駅を起点に駅東側を周回する循環路線だけでしたが、今では武蔵境駅や三鷹駅も起点となり、7路線9系統にまで拡大されています。

その誕生は一通の手紙から始まった

コミュニティバスという運行形態と基本システムを全国的に広めたムーバス。その誕生はあるご高齢の市民から市長宛に届いた一通の手紙からでした。そこには「自宅からバス停までが遠く、街まで出ることができない」としたためられていたのです。

武蔵野市にはJR中央線が走り、吉祥寺駅や三鷹駅からも路線バスがかなりの便数で発着していたことから、実のところ当時の市行政に交通が不便という認識はさほどなかったそうです。それでも一般市民の小さな声に応えて調査をしてみると、民営バス会社の路線バスは幹線道路を走り、道幅が狭く一方通行の多い住宅地の中には路線を引いていないことが分かりました。当然そこには収益を上げるだけの需要は見込めず、手紙の通りに結構な数の交通空白地域が見つかったのです。

黒字化を達成したコミュニティバスの成功事例

そこで武蔵野市はこれら交通空白・不便地域の解消を図り、多くの人々が気軽に安全に街へと出られることを目的として、小型バスによるコミュニティバスの運行を計画します。すると市内に路線を持つ関東バスが「赤字分を市が補填してくれるなら」という条件で業務委託を引き受けることとなり、ついにムーバスの運行が現実化されました。

もちろん赤字覚悟の運行でしたので、スタート時は不安だらけでした。ところがフタを開けてみると予想以上の乗客が集まり、1998年(平成10年)には2号路線が、2000年(平成12年)には3号路線が開設され、市が購入したバス車両の減価償却費分などは考慮されていないものの、黒字化を達成したのです。この成功によってコミュニティバスは全国へと普及していったわけですね。

ただし、「他の自治体で導入しているから」「なんだか流行しているから」などという安易な理由でコミュニティバス導入した自治体は失敗しているところもあるようです。重要なのは住民の声に対応し、住民のために正しいサービスを提供する行政側の真摯な姿勢ではないでしょうか。それがあったからこそ、ムーバスは1日約7,000人、年間約260万人が利用する一大交通インフラになったのだと思われます。